七月に入ったからだろうか。今年も何処となく「ミーン、ミーン」と、セミの鳴く声が聞こえだした。自宅を出てから聞こえてくるセミの鳴き声で、また今年も夏がきたと思える瞬間だ。
しばらく歩くとふと気付く。何故かセミの鳴き声が途絶えるのだ。そしてしばらくすると、今度は「ジー、ジー」と聞こえてくる。先程とは少し違って聞こえる。違う種類なのかなと思い、立ち止まり上を見上げると、道沿いの樹木の幹や葉には、セミは見当たらない。ただ、鳴き声は確かに聞こえる。何処に居るのだろうとしばらく探してみるのだが一向に見当たらない。あきらめて歩き出す。
また聞こえ出す。今度は、聞き覚えのある鳴き声だ。立ち止まり、上を見上げる。鳴き声の主を探すこと一分、二分、やはり見当たらない。しかし確かに上のほうから聞こえる。諦めてまた歩き出す、また鳴き声が聞こえる、上を見上げる。まるでセミを相手にかくれんぼをしているかのようだ。
アメリカ南部とメキシコ
セミとのかくれんぼが始まると「この夏は東京にいるんだな」と、改めて実感する。
私は以前アメリカやメキシコに住んでいたのだが、当時住んでいた街では、夏の間、セミの鳴き声を聞いたことがない。いや正確にいうと「聞いた覚えがない」と言うべきだろうか。
アメリカでは主に南部のアーカンソー州やテキサス州にいたので、車社会の中で生活していた。何処に行くにも車で、家を出て徒歩で何処かにいくということはまずなかった。車に乗ると、エアコンを真っ先につけるので、窓は閉め切ったままである。そして車の中ではよく音楽を大音量で聞いていたので、仮にセミがいたとしてもセミの鳴き声など気づかなかったのかもしれない。
メキシコにいた時は、職場まで30分程歩いて通勤していたのだが、ここでもセミの鳴き声を聞いた記憶がない。メキシコは治安が悪く周りを常に注意して歩いていたので、セミの鳴き声どころではなかったのかもしれないが…。
歩ける大都会
セミとかくれんぼをしながら歩いていると、「この街は世界にも稀にみる街だな」とつくづく思う。令和五年、東京都の人口は約1、400万人で、23区だけでも977万人となった。人口が東京よりも多い都市は世界に幾つもあるけれど、東京のように住民が徒歩で、何不自由なく生活できる便利な都市は少ないのではないだろうか。
東京には、鉄道、地下鉄、モノレール、バス、タクシー等の公共の交通機関が蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、人は車なしでも自由に行き来ができる。特に23区内なら何時でも何処へでも身軽に歩いていける。これほど歩行者を前提にして発達している都市はなかなかないと思う。
また、駐車場を確保するためには場所と料金がかなりの負担になるので、商売で車が必要な人やドライブが趣味な人以外は、車が必須だと思う人はあまりいないであろう。とにかく車なしで生活が成り立つのが東京である。
また最近では、日本も治安が悪くなったとはいえ、まだまだ世界に比べると比較的安全なので、特に治安を気にせずに人々は街の中を歩ける。そして、新しく開発された地域以外は、街自体が、全て歩行者を前提として形成されている。
緑が点在する街
東京には、皇居を筆頭として、緑豊かな場所が幾つも存在する。昔のお屋敷跡を公園にしたところも数多くあり、新宿御苑はその一例である。それ以外にも河川敷なども整備されていて公園のようになっている。
また東京には、数々の神社や寺が存在し、小さい神社や寺も含めると、それらの数は無数にあると感じさせられるほどだ。とにかく数分歩けば、小さい神社や寺に巡り会える。
それらの場所には、昔からある木々により、緑豊かな一角を形成しているところが多い。したがって、東京を歩いてみると、意外にも「ちょっとした緑」が多いことに気付かされるのである。
街並みの変化
しかし、東京の街並みは常に変化し続けて、止まることがないようだ。それは生活に必要だからなのか、利便性を追求するからなのかは分からない。とにかく、徳川家康が、川の流れを変え、運河を整備し、土地を埋め立てて、江戸の街を人工的に作り出してから、この街はずっと変化し続けている。そして、この20年余りは、特に変化のスピードが加速しているように思える。
道は、舗装され、拡張され、区画整理と共に個人の家々は立ち退きとなり、開発がくり返しおこなわれ、その代わりにマンションが立ち並ぶ。商店街では、個人商店に代わってコンビニとフランチャイズ系の店に代わるのが最近のトレンドのようだ。
そして同時に行われていくのが、樹木の伐採または移植だ。移植されるとしても全部ではなく、伐採されてしまう木々や草が多い。また道の舗装やマンション建築に伴い、住宅地からも地面の土や小さい池や井戸などが消滅していっているようだ。
それが原因なのか、子供のころ家の周りに多く見かけた、蝶々、トンボ、バッタ、トカゲ、カエル等が、全くといっていいほど見かけなくなった。それでもたまに見かけると、今では大きな感動さえ覚えるのである。この年になっても、小さな生き物を見つけるたびに喜んでいる自分自身に、少々驚きを感じている。
セミが語りかける
家を出てしばらくすると、奇妙に思うことがあった。樹木のある場所なのに、セミが鳴く場所と鳴かない場所があるのだ。木はそんなに高く茂っているわけではないのだが、緑のある場所を歩いていると、さっきまで鳴いていたセミの声がぴたっと止んでしまうのだ。木々のある道を、またしばらく歩いていると、鳴き声が再び聞こえてくる。何故だろうと考えていたら、ふと思い出した。先ほどのセミの鳴き声が止んだところは、新しく開発された場所で、緑も人工的に植えられ、昨年完成されたばかりの場所だった。そう言えば、セミは幼虫として土の中で七年くらい過ごして、その後地上に出てきて、わずか七日間の短い間だけ成虫として過ごすのだと思い出した。新しく緑が開発された地中にはセミの幼虫は居なかったのではないかと、気付かされた。
数日後、セミの鳴き声が聞こえなかった場所を通ったら、なんと今度は聞こえてきた。「どうしてだろう。ここにはセミは居ないはずなのに」と不思議に思ったが、すぐに分かった。何処からかセミが飛んできたんだと。なんだかセミに一杯食わされたような気分になった。
近年、気候は変わっても、毎年、セミは必ず夏の到来を告げてくれる。そして、何かを問いかけてくれているように思える。
「俺達はなんとかやってるけど、お前達は大丈夫か」と…。
まだまだ残暑の続く毎日だが、外で聞こえてくるセミの鳴き声は、虫達の合唱へと変わりつつあり、季節の移り変わりが日に日に分かるようになってきた。
自宅を出ると、外はまだかなり蒸し暑かった。そして、何処からか、最後の力を振り絞って鳴いているセミの声が聞こえてきた。
「俺もなんとかやって行くよ」と私は空を見上げ、今日もこの街を歩いてゆく。



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